2012年6月27日水曜日

ポストロックはポスト震災ではない—toe "The Future is Now EP"










ートワークを見比べれてみれば、その違いは明らかだろう。ポストロックの代名詞として、今もなお国内外から絶大な支持を集める『the book about my idle plot on a vague anxiety』では、じっと先を見つめるシカの鮮明な写真が使用されている。それはその後のポストロックのイメージを決定付けたと言っても過言ではないだろう。森、風、動物・・・よく「エモーショナル」と形容されるが、人間が暮らす社会とは切り離されたこれらのイメージが抽象化され、ポストロックと呼ばれるバンド側の音作りに少なからず影響を与えているのではないだろうか。
それが新作『The Future Is Now EP』ではどうだろう。真っ黒な鶏の頭部と少年を合体させた不気味な存在が教会の前で曲がったスプーンを握っているという、かなり意味深なアートワークになっている(アーティストの高木耕一郎が担当)。曲の方も、2009年作『For Long Tomorrow』から導入し始めたエレクトロニクスをさらに大々的に投入し、各パートの存在感よりも全体の空気感を意識した音作りへと向かっている。



彼らの中で何かが変わった。それは何だろう。

当然ながら考えられるのは、震災が彼らにもたらした変化だ。昨年の3月22日、彼らは被災者への義援金を募るために新曲「Ordinary Days」をレコーディングした。この曲に関しては"goodbye"に勝るとも劣らない名曲だが、あの瞬間彼らは『the book…』の自然主義を捨て、いち人間としての「日常」を取り戻すことを宣言したのだ。彼らが「ポストロック」という称号と、そこに付随する抽象的なイメージを捨てた瞬間だと言い換えることもできるだろう。
その結果、『the book...』の頃のエモーションは消え去り、残ったのはありきたりな「共助」というメッセージだ。SNSっぽい感じのPVで話題をさらった彼らは、今やポカリスエットのCMを担当するようになった。もちろん、彼らの実力と音楽に欠ける情熱を知る者であれば、それは喜ぶべきことなのかも知れない。しかし、いくつもの楽器を重ねたことで4人の存在感が薄まってしまった楽曲を聴くと、その変わり果てた姿に彼ら自身が戸惑っていることは明らかだ。
toeの熱心なファンならば、彼らがコンセプトを作らずに思いつきで曲を制作するバンドであり、楽曲に向かうスタンスは変わっていない、という反論もあるだろう。もちろん、これは震災をテーマにしたコンセプト・アルバムでもなく、第一、4曲入りのEPで彼らのスタンスを評価することは間違っているのかも知れない。しかし、カフェのBGMにもなりそうな楽曲をtoeが作ることに、何の意味があるのだろうか。少なくとも、僕にはその答えがわからない。



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