2012年8月28日火曜日

【名盤再考】Slum Village "FAN-TAS-TIC VOL.1"


盤と言われるものは、時代を超えて愛される—こんな呑気なクリシェを破壊すべく、過去の「名盤」を現代のコンテクストの中で再評価していこう、というのが本コラムの目的。音楽は時代と共に絶えず変化し、既存の音も新しい意味を持ち始める・・・なぜなら、そこにはリスナーという存在があるからだ。あなたの耳を通過して初めて音楽は意味を持つ。したがって、あなたの存在は音楽の発展にとって非常に重要なのである。

「伝説のグループ」スラム・ヴィレッジのこのデビュー作は、よりメロウなつ"VOL.2"と比べると人気は落ちるかもしれないが、今も忽然と輝くヒップホップの名盤であることに違いはない。ただし、今この音を聴くと、去年あれほど「新しい」と絶賛されたフライング・ロータスのグリッチ・ホップに驚くほど似ていることに気付かされる。答えは明快だろう—トラックメイカーである「ビート・ジャンキー」ことジェイ・ディラの存在である。シンプル極まりない4ビートに生楽器のようなリズムの「ズレ」を作りだし、機械とは思えないほど人間味に溢れたムードを作り出すのが特徴で、それはいかに自らの弱さを隠すかが問われるヒップホップのマッチョイズムとは一線を画すようなユニークさを持っていた。そして、彼の才能に寄り集まった個性的なラッパー達—Q-Tip, Common, De La Soul, そしてこのSlum Village・・・らがその後ヒップホップというジャンルに音楽的な多様性を加えたのは言うまでもない。

それから僅か10年余り。若干32歳でこの世を去った天才が残した功績は、インストゥルメンタル・ヒップホップというジャンルを生み出したことにとどまらず、「トラック・メイカー」という存在を世に知らしめることに成功した。その結果、フライング・ロータスを筆頭とするインターネット時代のトラックメイカー達がレディオヘッドなどの「スター」達とコラボレ—ションすることが当たり前のところまで来ている。それだけではない。ディアンジェロやエリカ・バドゥといったブラック・ミュージックのメンタリティを引き継いだアーティスト達も、ディラの音楽を精神的な支柱だとしばしば語っている。つまり、彼は死後に音楽の国境を幾分か取り払う架け橋になったと同時に、黒人同士の絆を深めるスピリチュアルな存在にも昇華したのだ。マイルスとコルトレーンの役割を一人で果たしたと言ったら大袈裟だろうか・・・いずれにせよ、彼と彼のコミュニティ存在しなければ、ジャズのようにヒップホップも黒人の手を離れることなく死んでいったのかも知れない。

それが、彼の最高傑作だと称される"Donuts"と並んで、"FAN-TAS-TIC VOL.1"が新鮮に聞こえる理由だろう。セックスや金についてラッパー達が好き勝手に韻を踏んでいるのを聴いていると、このリリックは今の時代には合わないかもな・・・などと思いつつも、今作の魅力は、その中身ではなく、あくまで音楽そのものなのだと確信する。ジャズのソロのように歌うリリックとビート・・・その強度は、ジェイ・ディラの音楽が信じられないほどの広がりを魅せる現在において、より一層強固なものとして響いている。


2012年8月16日木曜日

Bloc Party "Four"



の新作に先駆けて発売されたシングル"Octopus"を聴いたときは、ああ、このバンドも終わりだなと思ったものだ。実際、誰もが僕と同じような感情を抱いていたのではないだろうか。なにせ、2005年に鮮烈なデビュー盤『サイレント・アラーム』を携えてイギリスのインディ・バンドシーンに彗星のごとく現れたこに若き集団は、難産だった2枚目『ア・ウィークエンド・イン・ザ・シティ』で評価が分かれたことをきっかけに停滞し、2009年にはついに活動休止を発表。その後、ボーカル&ギターのケリー・オケレケがソロ作を発表するも評価は今ひとつで、活動再開発表のニュースも今ひとつ盛り上がりに欠けてしまった。つまり、4年ぶりの新作が相当な傑作でない限り、バッシングを受けるか最悪の場合スルーされるという状況が生まれたのである。その答えの片鱗であるはずのシングルは悪くもないが良くもない、つまり「普通」過ぎた。ファンの多くがため息をついたであろうこのリリースを経て、完成した作品はなんと賞賛を浴びるどころかここ数年停滞が続いていたイギリスのインディ・シーンに活気を取り戻す起爆剤になるのではないかという期待さえ抱かせる紛れもない傑作となり。全く、どこまでも憎たらしい連中だ…

勝因は2つ。ひとつ目は、今までの「ニューウェイヴ・リバイバル」というレッテルをあざ笑うかのようなバラエティに富んだ曲群だ。勿論、トレードマーク巧妙なアンサンブルによるニューウェイヴ調の曲も光っているが、それら以上に目立つのがレデイオヘッドなど影響を受けたバンドのサウンドを恥じることなく取り入れている点だ。要するに彼らは、自分たちが何者でもない、しかしそれがジャンルなき現在のバンドのあるべき姿なのだと開き直った。「イギリスと言えばダブステップ」と即答する僕のようなリスナーは、今一度UKロックの懐の深さを思い知ることになるだろう。

そして、そうしたサウンドの多様性によりとっ散らかった印象を与えかねない曲たちをつなぎとめているのが2つ目の勝因、すなわち演奏の一貫性だ。特筆すべきはベーシスト、ゴードン・モークスのアグレッシブなフレージングで、ギターリフがレディオヘッドの"Feral"そのものだと言われても仕方が無い"Team A"に独自のドライヴ感を与えている。ギターフレーズとのユニゾンも効果的だ。こういう音はDAWでは作れないよなと思わせる、プレイヤーの素顔が見える演奏だ。そう…僕の瞼の裏に映るのは、一度は決別した若者たちが再び集まって音楽を鳴らしていることを心から喜んでいる、希望に満ちた表情だ。


2012年8月11日土曜日

七尾旅人 "リトルメロディ"



ぜ七尾旅人がここに来て「歌モノ」に回帰したのか、ということを語る上で避けて通れないのはやはり東日本大震災が彼の音楽活動に与えた影響だ。震災直後に楽曲配信システムDIY HEARTSを立ち上げ、リスナーがある程度自由に値段を付けられる「寄付」形式で義援金を募った。余震が続く中、真っ暗なDOMMUNEのスタジオで演奏し、多くのリスナーの心を揺さぶった。自ら被災地へ行き、数え切れないほどのイベントやフェスへの出演も果たした。間違いなく、YMO/坂本龍一と並び東日本大震災後もっとも精力的に活動し、そして脱原発を訴えたアーティストだ。そんな彼が震災から約1年半の歳月をかけて新作を完成させた。

したがって、本作が震災というテーマで作られており、そのためアコースティックな歌ものを中心に構成されていることに対する意外性はほとんどなかった。ただ、息をのんだのは彼が各曲に注いだ誠実さだ。アメリカ同時多発テロ事件をモチーフに製作された3枚組の大作『911FANTASIA』の抽象性、あるいは前作『billion voices』で展開した千変万化の楽曲たちが茶番に思えてくるほど一曲一曲が丁寧に作られている。決して音感が優れているとは言えない七尾旅人だが、本作では一つひとつの言葉の意味を噛みしめるように歌っている。それは、それまで彼の反原発活動を横目で眺めていた僕のような人間の心さえ傾けるほどの力強さだ。ささやきかけるような「湘南が遠くなっていく」や実験的な「アブラカダブラ」でさえ有無を言わせぬ雰囲気があり、いい加減な気持ちで聴くことは許されない。こうしたタイプの音楽は社会人である僕にとってはリラクゼーションになりえずむしろ苦痛だが、本作は曲のパワーが圧倒している感じだ。

原発の必要性に対する議論にはさまざまな切り口あるが、アーティストという立場からすれば稼働に反対するのは当然であるのと同時に、やや特殊な経済活動をする彼らの言葉が具体性に欠けるのもまた事実である。そのような状況の中でここまで説得力のある言葉を、音楽にのせて届けられるというのは、彼がこれまで築いてきた表現に対するしたたかな努力の成果である。音楽的な面白さには欠けるが、表現という観点から見れば極めて実験的な作品と言えよう。

2012年8月9日木曜日

実験主義からの脱却—Dirty Projectors"Swing Lo Magellan"


曲目の前奏が始まった瞬間から、このバンドが既に僕の愛する、キャンプファイアーを囲んでアコギを弾きながら歌っているような若者の集まりではなくなっていることは明確だった。ペラペラだったバンド演奏は図太いプロフェッショナルなサウンドに進化。その上で、徹底的に無駄を省いたミニマリズムを追求しているのだから驚きだ。デイヴがメインボーカル、女子勢がコーラスワークという役割分担も明確化しており、もはや誰にも真似できないレベルまで複雑化している。そして何より、各曲が前作と比べて圧倒的にポップに突き抜けている。そう、彼らはついにブルックリンの実験主義者というレッテルを拭い去り美しいポップスを鳴らすアーティストへの道を歩み始めることを選んだのだ。

この華麗なる脱却の理由を解明する最大の手がかりは歌詞に散りばめられている。「答えはある/僕はまだ見つけてない/でも、見つけるまで踊り続ける/あなたのために、踊り続ける」("Dance For You")、「僕は生き続ける」("Just From Chevron")…そう、リーダーのデイヴは時にしつこいほど自らを鼓舞し、将来がどうなろうとも自分は自分であり続けるのだということを高らかに宣言している。そのストイシズムは、アメリカという国の置かれた状況を考えれば意外なほど前向きな言葉である。ブルックリンの実験主義者たちがますますドラッグにまみれていく中、彼らは透き通った目でしっかりと現実を見据えているように思える

総じて言えば間違いなく傑作だが、衝撃を与えた前作と比べて熟練すら感じさせる今作をどう思うかという点に関しては評価の分かれるところである。しかし、この力強い新種のポップ・ミュージックは、アメリカが、そして私たちが今もっとも必要としている音楽であると言えるだろう。