2012年9月23日日曜日

Flying Lotus "Until the Quiet Comes"




宙をテーマにした前作に対する評価が一時的なものにとどまったとすれば、それはジェイムス・ブレイクのような音の空白を重視するような時代の流れと逆行していたからだろう。しかし、それは彼が自分の色を持っていることの現れでもあった。もっというと、彼は新作においてますます音を詰め込み、意識的にイギリスの流行に逆らっているようにさえ感じられる。それはアメリカのヒップホップとジャズの文化に対する誇りと言ってもいいのかもしれない。彼はもはや時代の一部ではなく、音楽の現在を作っているのだ、という自負が芽生えてきたのだろう。

1~2分の曲が映画の1カットに対するサウンドトラックのようにせわしなく流れる構成は今まで以上に顕著になっている。驚かされるのはなんと言ってもその短時間に重ねられた音楽的なバラエティと、それを独自のサウンド・プロダクションに落とし込むバランス感覚だ。途中からハウス・ミュージックみたいなウワモノのシンセが宙を舞う「Me Yesterday」を聴くと、ベース・ミュージックというあいまいな枠組みですら彼の音楽を説明することができなくなっている。前作が「宇宙」をテーマに制作された抽象画だとすれば、今作はそれに次々と色が塗り重ねられた水彩画のような作品だ。

前作での経済的な成功が彼の音楽的なヴィジョンを実現可能なものにしたことは疑う余地もないが、より重要なのは彼の周辺にいる多彩なゲスト・ミュージシャンのサポートだ。前作から生演奏での参加で中心的な役割を果たしているサンダーキャットやミゲル・アットウッド・ファーガソンも引き続き素晴らしいプレイを展開しているが、今作では新たに女性ボーカルの活躍が目立っている。それは彼が主宰するレーベル、ブレインフィーダーの充実っぷりを見ても明らかで、「ビートシーン界のカニエ・ウェスト」と言っても過言ではないほどインストゥルメンタル・ヒップホップの拡張を牽引している。つまり、これは音楽が細分化されている現代においても時代を作りあげることは可能だという強力なステートメントである。愛とリスペクトに溢れた今作を聴いていると、イギリスのダンス・ミュージックが随分と陳腐なものに聴こえてしまう・・・そんなマスターピース。

2012年9月16日日曜日

ZAZEN BOYS "すとーりーず"



曲目「サイボーグのオバケ」を初めて聴いた瞬間は、「遂にここまで来たか」と拳を握りしめたのを覚えている。向井がナンバーガール解散後に受けた音楽的影響ープリンス、THA BLUE HERB、ムードマンーを完全に消化し、ファンク、ヒップホップ、ハウスをロックバンドという枠組みの中で形成するという離れ業をやってのけたと、この曲は証明していたからだ。それだけではない。落語文化にインスピレーションを受けたリリックは海外のヒップホップとは全く異なるグルーヴを生み出しており、日本でしか生まれ得ない音楽を提示していることは明らかだった。アンサンブルの密度もますます濃度を増し、一つひとつのフレーズが鮮やかに、しかし深い意味を持っているかのように繰り出される。先行リリースされている2曲目「ポテトサラダ」も同じく素晴らしい。長い年月をかけて磨き上げられた、この世で唯一の音楽だ。

だが、3曲目以降から僕の確信は徐々に揺らぎ始める。あれ…これは…ナンバーガールじゃないか…と。リリックとアンサンブルの絡みが薄れ、テクニカルなグランジ/オルタナバンドとしての側面が曲全体を占め始める。所々に面白さはあっても、僕の期待していた、ロックミュージックの更新を目指すようなコンセプトではないことが明らかになっていく。その時点で、僕は前作で感じた感動はないだろうと確信してしまったのである。アルバムの後半では、超絶技巧の「泥沼」や表題曲「すとーりーず」では前作からさらにブラッシュアップされた演奏を楽しむことができる。しかし、それだけでは今作への尋常ではない期待に応えられたとは言えないだろう。

もっとも、前作からの4年という歳月をこの作品だけで評価してしまうのは見当違いだろう。今作に関する向井のインタビューを読んでいると、彼自身が圧縮された音源というフォーマットに限界を感じているということを語っているからだ。つまり、ZAZEN BOYSの修行の成果を目の当たりにすることができるのはライブということになる。"すとーりーず"は落語と同じで、ひとつの「物語」に過ぎないのだろう。


2012年9月10日月曜日

カルトが本物に変わる瞬間—Holy Other "Held"



直、この新人が登場した当時は、実名を明かさないことやリバーブの濃さで注目度が決まるような現在のメディアのあり方を象徴していたように思えて萎えてしまったのを覚えている。まぁ、そう思ってしまったのも、彼のデビュー作『With U』がダウンロードした音源をラップトップでカット&ペーストしただけの稚拙なサンプリングのコラージュにしか聞こえなかったからに他ならない。ウォッシュド・アウトのような淡さも、トロイ・モアのような作曲の巧妙さもなかった。そして、わずか1年足らずでチルウェイヴが消え去ってしまったことを考えると、こうした派生的なジャンルでは音楽の未来は生まれないのではないかと考え始めていたのが最近の僕です。

そんな矢先。この秘密主義者がここまで目覚ましい進歩を遂げるとは、彼のファンでさえ想像していなかっただろう。カルト宗教に目覚めたマウント・キンビーとでも言うべきか・・・前作が暇な時に家で観るB級ホラーだとしたら、フルデビュー作『ヘルド』は1800円を払って映画館まで観に行く価値のある作品である。「ウィッチ・ハウス」の異名に相応しい、凛とした恐怖を作り出すことに成功している。

前作との最大の違いは無駄を徹底的に排除し、音のレイヤー同士の衝突を極限まで軽減していることだ。「ウィッチ」的な要素である全体を覆う霧のようなリバーブ、シャープなリズム、そしてボーカルのカットアップ・・・用いられている音の種類は前作とほとんど変わっていないが、全体的に音数を減らし、一つ一つのオン/オフを極端なほど明確にすることで、逆に重厚な印象を与えることに成功している。"Inpouring"といった短い楽曲が、その成果を如実に表している。こういった種類のアーティストにしては珍しくアルバムとしてのまとまりもある。後半の核となる表題曲"Held"ではテンポがスローダウンしたあとにアコースティック・ピアノまで導入されて、ロマンチック、といったら大袈裟だろうが・・・カルト的な世界観を評価されたアーティストにしては驚くほど素直な表現だ。

今作のリリースに伴って行われた「ステレオガム」のインタビューで、ホーリー・アザ—はデビュー作での唐突なサクセス・ストーリーについてこう語っている。「最初はただの趣味だったんだ。こんな風に僕の人生を変えるとは思ってもいなかった」。チルウェイヴが誕生した数年前にも同じような話を何度も耳にしているが、前作で獲得した評価、そして今作に対する期待が、彼が真面目に音楽に取り組む姿勢を築いたことは間違いないだろう。音源をリリースするのに金も労力も必要としない現代では、音楽は志すものではなく、すくい上げられることで初めて見えてくる選択肢なのかも知れない。そういった意味では、僕が毛嫌いしていたメディアも一定の役割を果たしたと言えなくもない・・・もっとも、この作品の唯一かつ重要な問題点は35分という短さで、個性の裏返しである単調さを出さないためにはこれが限界だったのだろう。「ウィッチ・ハウス」というタームが消滅しているであろう次作の制作時にどこまでこの軸をキープするのか、今から楽しみだ。