2011年11月23日水曜日

11.22.11


今日はウェブマガジンQeticの編集長から面白い話を聞くことができた。

彼女は19歳のときに、貧困に苦しむ人々へのギフトとして、20足の靴を持ってチベットに1ヶ月間ボランティアに行ったそうだ。当然、靴をもらうことができたのは20人の幸運の持ち主だけだ。

一年後、彼女は再びチベットを訪れ、衝撃を受ける。あの時靴を受け取った人とそうでない人の間で経済格差が生まれていたのだ。靴を受け取った人は経済的な豊かさを得た一方、その靴が自らの地位を証明する道具・・・つまり、唯一の財産となり、命懸けで守らなければならなくなった。

それから20年後、編集長の元に一通の手紙が届く。彼女から靴をもらったひとりの男性からだ。彼はその後アメリカの大学へ進学し、現在は脳科学者として活躍しているという。「あの靴のおかげです。本当にありがとう」手紙にはそう書いてあったそうだ。

まるでドキュメンタリーのような逸話だが、僕が何より驚いたのは、彼女がこの思い出を振り返りながら「やってよかったな」と呟いたことだった。同じような経験をした人の中には、大きな過ちを犯したと考える者もいるだろう。だが、重要なのは、彼女がこの経験を前向きに捉え、ウェブマガジンQeticを立ち上げたことだ。決断は下された。そして、少しずつ事態は変わり始めた。



レディオヘッド『イン・レインボウズ』(2007)に収録されている“レコナー”という曲を思い浮かべる。「レコナー」(reckoner)とは「最後の審判」という意味であり、この曲、そして『イン・レインボウズ』という作品には、1人ひとりが審判を下していくことによって社会が変化していくというメッセージが込められている。

僕たち1人ひとりの決断が少しずつ世界を変えていく・・・考えてみれば当たり前のことだが、そこには希望に満ちた響きがある。


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